ニュー・ミュージアム

PLACEText: Shane Johnston

数年前までバワリー・ストリートは、ニューヨークの非常階段として存在していた。路上には修復された冷蔵庫が置かれ、バワリー・ミッションというホームレス支援団体にたむろする不運な人々がいた。また、そこは決して高級感のある地区ではなく、文化的にも重要だと評価されていなかった。バワリー地区は低家賃地区であり、犯罪率の多い路上生活者達の泥沼として知られていたのである。

ニュー・ミュージアム

しかし、2005年にバワリー・ストリート沿いにある普通の駐車場が、ある施設の永住の地として選ばれた。ニュー・ミュージアムは、現代美術界では比較的有望な美術館だ。彼らの声明である「新しいアート、新しいアイディア」はマルシア・タッカーによって書かれた声明文をとてもうまく簡易化したものである。「私たちは、まだ社会の認知を得ていなかったり容認を得ていないアートを、批評的で学問的な文脈で提示する。」 これは、後にホイットニー美術館の絵画と彫刻のキュレーターになるタッカーが1977年に書いた声明文だ。タッカーはこの声明文を書いた後すぐにニュー・ミュージアムを創設した。

ニュー・ミュージアムは、トライベッカのファインアーツビルで始まってから、バワリーにある現在の場所に来るまで、声明文に忠実な活動をしている。1980年代には、キース・へリングリチャード・プリンスジェフ・クーンズオラファー・エリアソンを登場させた。また、高校アートプログラムや可視的知識プログラムなど不安定な十代の青少年のためのプログラムを促進した。

ニュー・ミュージアム

バワリーに建つニュー・ミュージアムの新しい建物は、美術館のコンセプト「ニュー・アート」へ対する忠誠の証拠である。東京を拠点に活動する建築事務所「SANAA」(スワヒリ語でアートを意味する)が、美術館の新建物コンペの勝者になった。SANAAは妹島和世と西島立衛の建築事務所で12年に及ぶパートナーシップによるものである。これまでに金沢21世紀美術館や東京のクリスチャン・ディオールビルの建築を行っている。

ニュー・ミュージアムの現ディレクターであるリサ・フィリップスに今回の建物について聞いた。『私たちは自らの声明と新しいアートをサポートするということに堅実でなければならない。』また今回新しい建物とともに、ブランディングエージェンシー、ウォルフ・オリンズにより美術館の新しい独自性が考案された。(ウォルフ・オリンズはREDキャンペーンや、物議を醸した「ロンドン2012」のロゴをデザインしている。)これらによりニュー・ミュージアムのイメージ刷新が完了し、人々の目の前へ発表されることになった。

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