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モーマス


モーマスがイタリアで行う初めてのコンサートはベニスしか考えられない。不慣れな旅行者を混乱させるベニスのしっかりと絡み合った路地のネットワーク、心地よい地中海の日光と海の下に隠れた脅威と秘密の組み合わせ、そして困惑と官能を起こす素晴らしい宮殿群は、モーマスが作詞した一つの歌と彼の多くの作品に特徴的なものをこの都市の中に具体化している。今回のツアー「スプーキスマ」はニック・カリーのレパートリーであるコンセプチュアルポップソングから豊富なセレクションを提供しているが、これは一般のインディー・ブリティッシュ・ミュージックの流行とは正反対である。1960年生まれベーズリー出身のスコットランド人の作る歌は、穏やかにそしてより尊大になるほど難解になり、うれしいくらい実験的になるのだ。

私たちはモーマスに彼の最近までの“課外活動”が、今になってなぜ新しい観衆の目を引きつけることになったのかを聞いた。その原因の一つは「Wiredマガジン」やアメリカのデザイン雑誌「I.D.」、「AIGA VOICE」、「Metropolis」、そして「Design Observer」などでのデザイン批評や文化コメンテーターとしての仕事があげられる。

『もし君が僕が16歳の時の学校生活を見たとしても、僕を音楽室やボブ・ディランのアルバムを聴いている子供たちと一緒に見ることはなかっただろうね。美術室でイギリスデザイン協会の雑誌Designを読んでいるところを見つけたんじゃないかな。』今回の彼のイタリアでの滞在は彼のデザインに対する初期の興味を揺すり起こしたようだ。そしてそれは彼の音楽に対する情熱よりも以前にあったものだということも。

『ミラノに行った際にトリエンナーレにも行ったけど、そこの図書館の地下書庫で70年代に発行されていた「デザイン」を何冊も見つけたんだ。70年代と言えば僕はそれらを読んでいたに違いない時だった。今はもうその雑誌は発行されていないけど、その時からグリーンデザインや、日本のデザインなどについての記事を読むのはとても面白かったよ。今考えてみるとこの雑誌とデザインという専門分野に強く興味を持ったのは、それらが将来とてもおもしろいものに見えたというのと、デザインが多くの人のくらしを良くできると思ったからなんだ。もちろんそう言うと理想が強調されてしまうけど、デザインは社会に前向きで建設的な課題を持たせることができるんじゃないかと思うんだ。』

ニック・カリーの評論はすばらしい。彼は一見関係のないと思われる文化製品とアイディアを同時に扱うことができる。視覚文化の合成縮図をプラットフォームとして分かりやすい分析とより広範な社会の側面を観察することができる。解放のための社会的勢力としての創造性という考えは彼の“宗教としてのデザイン” という記事に帰結する。
ニック・カリーは「マグマ」や「アナログ」、そして「ザッカ」などの専門書店を高尚で神聖な価値観をもたらす現代視覚文化のカルト神殿として説明している。そこでわれわれは彼に昨今におけるデザインの最も重要な目的を尋ねた。

『僕は“宗教としてのデザイン”を疑問視しているんだ。僕は論文「デザイン・ゼン」でその暗い側面を説明しているよ。僕はデザインが消費社会ではただのつまらない宗教でしかないと考えているんだ。でもこの質問に答えるとすれば、デザインは公共生活を再び計画するための方法になると思う。“計画”は社会主義を機能不全の実験として扱う人々によって疑われているけど、僕はその”計画”がとても重要だと思う。デザインはその初期レベルの計画で、それは古典美を備えていてなおかつ文脈的なんだ。ここでは何かが誤作用を起こしている。そしてわたしたちはこれを正しい方向へ変更することができる。そしてデザインは僕が“モロニックシニシズム”と呼ぶものに対する対抗手段になることができる。“モロニックシニシズム” とは物事が不可避に悪くなっていき、利用価値よりも交換価値が全ての価値を決定し、いつかは自分たち自身をも自滅させ地球を破壊してしまうというアイデア。でもデザインは重要なんだよ。なぜならデザインは倫理的価値観と美的価値観を結びつける事ができるから。』

モーマスは常に日本に興味を持ってきた。彼がまだ7歳のときに「僕は日本が見える」という曲を作り、彼はその曲を1998年に出したアルバム「Little Red Songbook」に収録した。時間が経つにつれ“太陽の昇る国”は彼にとってつきる事のないインスピレーションになり、それはかれの仕事のモチーフになり第二の家にもなった。ニック・カリーは自身の論文「キュート・フォーマリズム (かわいい形成主義) 」で日本の消費社会の全てのレベルに蔓延する、洗練された形成主義について議論している。

『“かわいい形成主義”という言葉は、2001年に東京のある高級な街頭を歩いていたときに思いついた。「チャイルドディスク」というレコード会社から出ているレコードを買いに行く途中で、その子供のような形成主義について考えていたのかもしれない。なぜならそのレコードはとても形成主義的でアヴァンギャルドな方法であるコラージュやデコパージュなど、とても発達した手法と洗練された技術を使っていたんだけど、同時に子供のような陽気さをかいま見る事もできたんだ。しかし西洋にはシュトックハウゼンやグリーンバーグなどの恐ろしくて力強い20世紀アヴァンギャルド形成主義があり、日本には消費者バーションのフェミニンで幼稚な、西洋とは全く違ったアヴァンギャルドがあるように思えたんだ。僕が日本に対して感じていたことのひとつに、これから消費社会の発展によって僕たちの文明も同じく日本のように女性化して行くのではないだろうかということだった。そして“かわいい形成主義”について考えていたとき、僕は原宿にあるデパート「ラフォーレビル」の前を歩いていた。ラフォーレビルの最上階には美術館があるよね。僕はアートはショッピングの続きでありショッピングもアートの続きであり、それらが双方向で作用しているということを目の当たりにして、そこでのショッピング経験はとても洗練されたものであり、清教徒的な恥は全くないということに気づいたんだ。』

昨年、ニック・カリーはニューヨークにある「Zach Feuer Gallery」でウエダ・マイとのパフォーマンスアートショー「I'll Speak, You Sing」に参加した。ショーは三週間のものだったが、彼はその三週間のギャラリーの開館時間中ずっと物語を即興で作りパフォーマンスをしていた。『その結果としてより大きな美術館で3ヶ月間パフォーマンスをしてほしいと依頼されたよ。もちろん毎日美術館に入りパフォーマンスをするのだけど、まだ正式に発表されていないから、ここでその美術館の名前を言うことはできません。』この展示は彼がLFLギャラリーで行った個展「Folktronic」に続く展示であり、その展示でモーマスは想像上の国におけるポピュラーカルチャーをパフォーマンスとして濃縮した。それは20世初頭のアメリカの田舎地方を人工的なデジタルバージョンにしてギャラリーに来た人々の生活を即興で作曲し、彼のアルバム「Folktronic」をそれらの人々バージョンで録音をするというものだった。

『僕は日頃からアートを副業としてとても興味を持っている。僕の知る全てのアート学生はアート世界に対して皮肉的で辛らつだな。それは彼らがアートにとても近すぎるところにいるからで、アート世界をただのアイデアのスクラップブックとして見る事ができることを知らないと思う。例えば僕にとってベニスビエンナーレの80パーセントは役に立たない。でも他の20パーセントはとてもおもしろかった。とくにセルジオ・ベガの作品はとても好きだった。違ったものを一緒にしたらとてもおもしろい合成物が作れると思う。このような考え方は常にアートの世界では行われていることなんだ。みんなとても変わった個性的な関連性を持っていて、感性的に保守的なポップミュージックにはないかな。』

現在モーマスはベルリンに在住している。モーマス曰く、ベルリンはポスト労働都市のようだ。なぜならそのポストインダストリアルな人々のリラックスした様子かららしい。モーマスはデザインコミュニティーで自身の存在を確立している。彼は自身のCDジャケットデザインを委任で行い、そのデザインとともに音楽もとてもおもしろいものになっている。例えば「Oskar Tennis Champion」のためにフロリアン・ペレットがデザインした木片に覆われた素晴らしいステージデザイン、そしてジェームス・ゴッギンによる曲がりくねった2面パターンの「Otto Spooky」のデザインは特筆すべきものだろう。

インタビューはモーマスにとって今までで一番魅力的だった視覚経験についてと、これからどんなデザイナーとコラボレーションしてみたいかと言う質問で終わることになった。『自然やチャンス、そして神を僕たちは究極のデザイナーと呼ぶよね。飛行機から世界を見下ろすのがおそらく僕の最も好きな視覚経験かな。それと僕はデザインを適切にすることができるなら誰とでもコラボレーションしてみたいね。』

興味を持ったら彼のブログもチェックしてみて欲しい。

Text: Francesco Tenaglia
Photos courtesy Nick Currie
Translation: Masanori Sugiura

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