イラストレイティブ・チューリッヒ 08

HAPPENINGText: Peta Jenkin

その後私は展示会場をファッションからイラストアートセクションへと足を運んだ。その途中で見つけたドイツ人アーティストであるローマン・ビットナーの技術的に突出した作品は無視することができなかった。ビットナーの非常に豪華で大きな作品は、都市風景を描写した1950年代のアメリカ的な感性を持っており、額縁からいまにも飛び出てくるようだった。

 Illustrative Zurich 2008
Lorenzo Petrantoni

もし私がその作品を見てとてもきめ細かに作り込まれたものだと思っていたとしても、イタリア人作家ロレンゾ・ペトラントー二の作品はおそらく私が思っていた以上に作り込まれた作品に違いなかった。ペトラントー二のイラストレーションは明らかに19世紀的な古風な活字書体とイラストレーションや広告の表現方法を用いているが現代的な作品でもあった。なぜなら、ペトラントー二の作品に近づいて見ると作品に現代的なシンボルやアイコンが埋め込まれているからだ。それは現代の過剰状態に対するペトラントーニの皮肉たっぷりのコメントとしても受け取れる。

 Illustrative Zurich 2008
Eva Eul Sin-Hang

幸いにも、私の大好きなイラストレーション技術の一つであり、過小評価されている感じのあるコラージュも、今回のイラストレイティブでは展示されていた。ノリとはさみを使いながら、数多くの本や雑誌を素早くめくり、手を汚しながら作品作りを楽しむ私と同じように、作家エヴァ・シン・ハンはそれをインク、鉛筆での描画、またコラージュを混ぜていって作品を作っている。想像は単純な並置によって簡単に刺激させることができる。コラージュは簡潔な様式で表現を可能にする方法であり、ダダイズム芸術家や超現実主義者達にも好まれた表現方法だった。シン・ハンは古雑誌から人間の写真やイラストをカット&ペーストをして人間の顔に異邦人のような演出を施す。シン・ハンの人々を威嚇するようなイラスト作品の数々は人間に内在する邪悪さを表現し、また同時にそれを巧みに操作しているようにも見えた。

イラストレイティブに出展している多くの作家は技術的また専門的に研ぎすまされている。しかし、コラージュを使ったシン・ハンの作品は新鮮な洞察を沸き起こさせ、深く感動を与えてくれたので、とても強く印象に残っている。私はこれこそがイラストレーションだと考えている。それをアートと呼んだり、そう呼ぶようにするのは馬鹿げているように思えてしまう。なぜなら、そうすることによってイラストレイティブに出展している全てのアーティストの出発点であるイラストの技術をないがしろにしてしまうからだ。
自分自身をアーティストとして考えている人でも、実際はイラストレーターでない場合がどちらかといえばほとんどである。そういったアーティストは世界有数のギャラリーで見ることができるような洗練されたアイディアに欠いている。

イラストレーションは表現媒体として以前よりもより一般的になっている。一時は押し寄せるくらいの勢いがあり、今ではその勢いも小さくなっている感じのある2000年初頭からのストリートアートの人気や、バンクシーなどのよりグラフィティ要素の強い作品がアート市場でも高額な市場価格で取引されている状況がある。イラストレーションアートも純粋なアートとしてではないかもしれないが、価値が見出されアートとして通用する表現媒体であり最近では売り物としても受け入れられるようになった。

イラストレイティブのキュレーターであるパスカル・ヨハンセンにイラストレイティブについてどんな考えを持っているのかを聞くことはとても興味深いものだった。「イラストレイティブはイラストレーション界で最高で最も輝いている作品やアーティストを一堂にする最初のイベントでなおかつ最も重要な展示会だ。それは展示会というよりも「企画された移動展」と呼べるものであり、また時代を担うイラストレーターが必要な露出機会を競う要素も持っている。」

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葛西由香
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