モジョ・クラブ

PLACEText: Andrew Sinn

モジョ・クラブは、ハンブルグのいくつかある洒落たナイトクラブのうちの一つ。1991年にオープンして以来、ショップ、ラウンジクラブ、レコードシリーズ等、様々な活動を展開して来た。このクラブの設立者の一人である レイフ・ニュースキに、モジョの歴史についてお話を伺った。

原点は音楽だった。当初、彼等はそれを「ダンスフロアー・ジャズ」と呼んでいたのだが、とにかく音楽だった。60年代から70年代までのジャズで、ダンスにはとても適している。この種の音楽をかける、ということは当時90年代初頭のクラブ、及びダンスシーンでは新しい試みであった。と言うのも、60年代ではそのようなスタイルの音楽は海を渡ったアメリカでしか聞くことができないものであったし、70年代においては、巧みに演奏を繰り広げるミュージシャンを真剣に聞くようなインテリな人が、踊る代わりに、この種の音楽を好むのが殆どだったからである。したがって、本当に「今だ」と彼等が確信できるまで、オーディエンスをこの音楽に引き込む為にパーティを何度も、そして違う場所で開く必要があった。

リーパーバンという通りがハンブルグにある。そこは、ハンブルグでは、ホットで娯楽に満ちたパーティー地区である。彼等は、そこに場所を見つけた。その場所は、かつて楽器屋であったことから、クラブを作るには良かったのかもしれない。音響システムを貸り、ムード演出の為に60年代のジャズ・ミュージシャンのイメージと共にスライド・プロジェクターを設置した。当初は土曜日だけのオープンだったこのクラブ。しかし、すぐに何かを秘めたDJ達の目に止まり、金曜日に更に現代的な要素を持つジャズを主に流すようになった。そのジャズを、「エレクトリック・ジャズ」と言う。

このクラブを人は「モジョ・クラブ」と呼ぶ。モジョとは、カリブ海のブードゥー教の中のポジティブな魔法のようなもの。この言葉はジャズ音楽の中ではよく見受けられ、親しみがあるのでクラブの名前にしたのだ。ニュースキの友人でもあるマリオン・シュネルがロゴを制作し、フライヤーに関してはビジュアル・アイデンティティーの最初の一歩として「セリフフォントは絶対に使わない」といったような基本的なルールを課した。

92年には、中古、かつレアなレコード、古着、クラブクチュールを売るショップをオープン。それらの殆どがイギリスからのもので、ハンブルグでは、ここでしか手に入らない。彼等のスタイルはモッズ系志向であり、昔、学校で使ったようなアディダス商品にも近い。バリカンさえも販売しているこのショップ。クラバーのライフスタイルを満たすことのできる全てがここに揃っていた。

92年は、ダンスフロアー・ジャズのコンピレーション、「ザ・ファースト・モジョ・クラブ」をリリースした年でもあった。それには、ジミー・スミス、ロイ・エアーズ、ジェームス・ブラウン、クール・アンド・ザ・ギャング、ニーナ・シモンといったアーティストの60年代から70年代初頭までに作られた、あまり知られていない曲が収められている。レコードリリースは大成功で、今ではシリーズ化しており、今年の夏には10作目をリリースする予定だ。クラブは有名になった。人々はクラブの前で入場の列を成し、DJはドイツ中をツアーするようにまでなったのだ。

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