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雲南

PLACEText: Tomohiro Okada

今や世界のコンテンポラリー・アートを語る上において、欠かすことのできなくなったメインランド・チャイナのアーティストたちとムーブメント。欧米や日本のアート・ジャーナリスムの絶え間ない注目が首都北京を中心に大都市に向けられる中、数多くのアーティストが活動の場を遠くビルマ・ラオスの国境に近い雲南省に移しつつある。そこには、北京やニューヨーク、パリでは成しえなかったライフスタイルがあるという。

このアーティストにとっての新たな生活圏を切り拓いた一人のチベット人オーガナイザー、ニーマンにインタビュー。メインランドのアーティストが愛する雲南のわけを探る。

漢民族が雲の彼方の地だと例えた雲南。バンコクから飛行機に乗って北へ1時間あまり、中国で一番東南アジアに近い大都市、雲南省の省都・昆明に辿り着く。そこから国内線に乗り継ぎ 30 分、数百年前まで漢民族ではない独自の民族による首都であり、未だその面影を残す大理へと到着する。古の王国の民が海と呼んだ満々と湛える巨大な湖と遠くヒマラヤ山脈へと連なる万年雪の山が聳え立つその街には中国に住む 50 の少数民族の内の 30 が住むという雲南省の中にあって、同じく幾つもの少数民族が古城の中の町屋に住み、毎日の生活を営んでいる。

空港から降り立ち、様々ないでたちの人々を次から次へと乗せ満員のライトバンのバスを乗り継ぐこと1時間、その城下町と辿り着いた。大理古城、そこは昔ながらの石造りの町屋の家並に統一され、古の王国の主であった白族を中心に様々な民族がそれぞれのモードで行き交う巷。背後に雪山が聳え立つその光景は、バックパッカーたちに中国のカトマンズと呼ばれ、15年程前より外国人による訪問が開放されて以来、多くの旅人を魅了してきた。そしてその中の長期逗留者たちと地元のユースの手によって、カフェやラウンジが生まれ、ゲストハウスが生まれ、そしていつしか中国各地からアーティストたちが集まり始め、滞在し、ギャラリーが生まれるようになった。

そして今年、メインランド・チャイナでは画期的な都市展開型のアートプロジェクトとワークショップ「…BETWEEN(之間)…」がこの街で展開された。

なぜ、アーティストたちが北京や上海、パリやニューヨークからこの山あいの雲南に走るのか?

アーティストのためのワークスペースを古城に提供しているオーガナイザーであり、今回のアートプロジェクトの主の一人として現地のホストをつとめたニーマンにそのわけを聞いてみた。

なぜ今、中国のアーティストは大理へ向かおうとしているのでしょうか?

アーティストとしてやっていく上で、北京や上海、それにギャラリーに招待されてニューヨークやパリに滞在しても疲れて行く人が多くなって来たんだ。

北京だとうまくアート界に組み入るか、さもなければ、過剰なパフォーマンスやアクティビズムな方向に走るかといった空気になってしまう。上海だとより商業的な成功を考えなければならない空気がある。何しろ、これらの街は生活費がべらぼうに高いから、目につくようなことをするか、どこか会社や機関に入るかしないと表現どころか生活もおぼつかないからね。

一方で、ニューヨークやパリといった国外に行くとまた、華やかでお金になるように見えて、一方では自分の作品で多大なお金を手にする人があるかと思えば、ギャラリーとの折衝や自分自身のアーティストとしての立場を維持するために、心身擦り減らすような気分になる人も出てきた。

そうなると、中央から遠く離れて、気候も良く、異なる文化があって、物価も安く、住むのも容易な大理に自然と目が行くようになったのだよ。何しろ、ここならばアーティストとしての創作活動だけに打ち込めてかつインスパイアされる生活環境だからね。

15年程前、この地域が対外開放されて、多くの旅人が訪れるようになった。結果、私たちが持つ(ニーマンはチベット族、奥さんのシャオ・ミンは白族でともにコンテンポラリー・アーティスト)少数民族文化やアートによる表現と触れてもらえるようになって、自分たちの手で発展させることができるようになってきた。そこで、 10年程前、この街に私たちはギャラリーを開き、インデペンデントなアーティストとして十分な活動ができるようになって来た。一方で、中国人自身もここ数年で自由に旅行ができるようになり始めた中で、中央を離れ、自分自身にとって表現するにふさわしい場を探してきたアーティストたちがこの街を訪れるようになったんだ。

そういえば、10年程前の一時期、アーティストたちが北京を離れ、チベットや新疆(旧東トルキスタン)に大挙して向かうという動きがありましたが…

あれは、中央で閉塞感を感じてしまった若者たちが何かを求めて向かったことでしか無いのが多くて、あまり意味をなさなかった。今、ここに来ているというのは、明らかにこっちの方がアーティストそのものになることができるという現実的な環境に対する考え方からやって来ているよね。

ギャラリーがあって、自分の作品を自由に販売し、それを外国人が買ったり、また情報が世界のアートシーンともつながり始めているという私たちがしてきたことに、うまく乗っかって来れるようになっているし、一方でカフェやラウンジで働くことも自分自身で始めることもできる。もちろん、作品を売っても、この街で働いても、北京やニューヨークやパリよりお金は少ないけど、それでも殺伐としない環境でフリーに活動できるというのが何よりも魅力的なのでしょう。とても遠い場所という感覚も、インターネットを持つことで無くなって来ているし。

「…BETWEEN(之間)…」はどういうプロジェクトですか?

世界的に注目を集めている3人のアーティスト、方力鈞(昨年のヴェネツィア・ビエンナーレに招待)、岳敏君(同じくヴェネツィア・ビエンナーレに招待、福岡アジア美術館オープニング・ポスターを飾る)、叶永青を大理に迎え、古城の町屋に住みながらワークショップと創作活動を展開するもの。この大理という一般的な中国社会とも西洋文化とも異なるユニークな場所で、どの様な作品が生まれ、どの様な交流がこの場所で生まれたのかというのが興味深いところだよね。

今回、私が運営している大理メコン河文化芸術中心と他に、昆明上河會館、成都上河美術館が共同で開催する、完全にインデペンデントなプロジェクトだよ。

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