「古道具その行き先-坂田和實の40年-」展

HAPPENINGText: Miki Matsumoto

今回の松濤美術館における展示は地下1階の第1会場と、地上2階の第2会場とから構成される。高い天井が開放的な第1会場には、絶妙な曲線を描いたマリ・ドゴン族の木製ドアや、ペルー・ナスカ文化の布といった大型の作品が、それぞれの物が醸し出す独特の雰囲気を損なうことなく随所に散りばめられ、地下に比べてコンパクトなつくりの第2会場には、食器や雑巾、電卓といった我々の生活にも身近な日常品が並べられており、各アイテムにふさわしい距離感で接することのできる配慮がなされている。


人物埴輪(日本、古墳時代) 撮影:ホンマタカシ

それにしても、これほど多様な作品が集う展覧会も珍しい。坂田和實という一人の人間が、何十年という歳月と経験をかけ磨いてきたモノサシで選び出した、という共通項で(のみ)括ることのできるこれらの品々は、ピンとこない者にとっては単なるガラクタにしか見えないものばかりとも言える。だが、先に引用した坂田氏の言葉が示す通り、ガラクタと宝石とを分ける基準は実に恣意的なもの。崇高な現代アートも、そのジャンルに興味が無い人には「意味が分からない」で一蹴されてしまうし(デュシャンの「泉」などその最たるものだろう)、市場価格という匿名的なモノサシも常に変動を余儀なくされる。そういった先の見えないギャンブル性が、この世界の醍醐味ともいえる訳だが(それはなにも美術の世界に限った話ではない)、だからこそどのような武器(モノサシ)をもって、そこに踏み入るかが重要になってくる。

kazumi_sakata005.JPGおじいちゃんの封筒(日本、昭和) 撮影:ホンマタカシ
おじいちゃんの封筒(日本、昭和) 撮影:ホンマタカシ

そんな考えと共に会場をまわるなかで、筆者が最も心を揺さぶられたのが、「おじいちゃんの封筒」*3 と題された手作りの封筒だ。

薬局の薬袋やカレンダー、健康診断の結果が記された紙といった、作り手の日常にある紙を材料にした同一規格の封筒が、何十枚と壁に並べられている。素材の必然性は作品を語るうえで重要な指標のひとつだが、この封筒を前にしていると「優れた」封筒をつくりあげるのに必要なのは、きめが細かく強度のある和紙や上質なコットンペーパーとは限らないのではないか、と思えてくる。身近な人への気軽な近況報告というミッションにおいて、このさりげない素材は、このうえない必然性を備えていると言えるのではないだろうか。必然性という概念から真の価値を生み出すには、物に宿る可能性に気づく眼差しが不可欠であるということをこの作品は改めて伝えているように思う。

もちろん、ここに挙げたのは膨大な展示品のごく一部にすぎない。純粋なフォルムの美に圧倒されることもあれば、我々の常識では考えられない造形(例えば、等身大サイズのアフリカの鉄製の通貨)を前に、彼方の異文化に思いを馳せる瞬間もある。坂田氏の眼差しを通して掬いとられた物たちは、鑑賞者一人一人のフィルターをかけられることによって、また異なる必然性を身にまとうことになるのだろう。

知識や情報を得るだけならインターネットで十分事足りる時代にあっても、人は敢えて美術館や博物館へと足を運ぶ。そこに我々は何を求めているのだろうか。なまじっかな知識や憶測を放り出して、真っ裸で対象と邂逅する体験を通して、そのヒントが見つかるかもしれない。松濤美術館での展示を見逃してしまった方も、目白の「古道具坂田」や、千葉の「museum as it is」へ、足を運んでみてはいかがだろうか。

*1 「一人よがりのものさし」、新潮社、2003年、p8
*2 「古道具その行き先 – 坂田和實の40年」、渋谷区松濤美術館、2012年、p7
*3 この「おじいちゃんの封筒」については、同名の書籍(「おじいちゃんの封筒 – 紙の仕事」、ラトルズ、2006年)も出版されている

「古道具その行き先-坂田和實の40年-」展
会期: 2012年10月3日(水)〜11月25日(日)
開館時間:10:00〜18:00(金曜日は〜19:00)
会場:渋谷区立松濤美術館
住所:東京都渋谷区松濤2-14-14
TEL:03-3465-9421
https://www.shoto-museum.jp

Text: Miki Matsumoto

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