上田義彦 写真展「鎮まる」

HAPPENINGText: Yuko Miyakoshi

撮影からフィルムの現像、プリントまでを必ず自らが行うという上田氏は、暗室作業が特に好きで、その時間を大切にしているという。氏が自然を捉えた写真といえば、「QUINAULT」の青みを帯びた緑が印象的だが、今回のグレーと藍を帯びた色合いは、「QUINAULT」の生彩に満ちた色とはまた異なり、深く複雑だ。グレーというと老成したイメージを思い浮かべるが、上田氏のグレーには絶望や希望、誕生や死といった相反するものが同時に滲み出ているような複雑さがあり、圧倒される。その実感は事前にウェブで見ていた時よりもやはり、本物を目にして初めて感じられた。

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花:柃(ひさかき) 器:金銅華瓶 (鎌倉時代)個人蔵 © Yoshihiko Ueda

ギャラリーはアートを尊ぶ者にとって、なんと安全な場所なんだろうか。そこではすさまじい量の情報からも、外界の危険や猥雑さからも逃れ、純化された美だけと向き合うことができる。だが、そこにある上田氏の写真には、ともすると安全や洗練に安住しがちなハイブローの志向は微塵もない。
上田氏は、以前から見つめて来た自然の美しさ、生命、哀しみ、自然の恐ろしさなどと向き合い、闘っている。そしてそれを生々しく表現するのではなく、生彩を抑えた渋い色味で仕上げている。

展覧会の初日は、朝から雨が激しく降ったり弱まったりを繰り返し、鑑賞の場をよりいっそう静かなものにしていた。そして、その安全な場所—今回のG/Pギャラリーの照明を抑えた薄暗い空間—の涼やかさが寺院や神社の境内にも似て、鎮魂の場になりうると気付く。ここは東京・恵比寿のホワイトキューブギャラリーのはずだったが…。両氏の作品にはそれほどの力がある。

冒頭に引用した川瀬氏のことばの中の「救う」というキーワードからは、古来より自然界にあらがうことなく自然を畏怖し、祈りを捧げ、災いをもたらした自然からまた救済も受け、共に生きてきた日本人の生き方が感じられる。その生き方には、 3.11後に日本が世界から驚嘆を受けた辛抱強さや穏やかさがあるのかもしれないと思う。

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花:枯杉 器:金銅華瓶 (鎌倉時代)個人蔵 © Yoshihiko Ueda

川瀬氏は、枯れた花はエネルギーの頂点だという。写真からは確かにエネルギー感じられたが、枯れた植物になぜエネルギーを感じるのだろうかと思った。写真を見るうちに、そうか、花や葉は枯れた後に土に還り、分解され、また新たな生が育つ環境に生成される。枯れつつある植物も生態系の大きな流れの一部なのか、ということに思い至った。森羅万象ということばが思い浮かぶ。だが、もっと原始的なことばが合うような気がし、これは言語化される前のイメージなのかもしれないと思う。さらにここに表されているのは太古だけではなく、今によみがえるイメージではないか。その掴みかけた感覚にもっと近づきたく、また写真の前に立ち、ことばと自然の無為の間に身を鎮める。
そうすると知るはずのない、自然界のあらゆるものと心を通わせていた日本人の心に触れられるような気がする。

「鎮まる」の撮影の後、上田氏は屋久島の撮影へと旅立った。作品は近々発表されるそうだが、その作風は今回のものとはまた異なるという。現実と真正面から向き合う上田氏の3.11後の取り組みは、さらに次なるフェーズへと進んでいる。そのことに驚きと尊敬の思いを隠せない。

上田義彦写真展「鎮まる」
会期:2011年8月19日(金)〜9月18日(日)
営業時間:12:00〜20:00(月曜日定休)
会場:G/P gallery
住所:東京都渋谷区恵比寿1-18-4・NADiff A/P/A/R/T 2F
TEL:03-5422-9331
https://gptokyo.jp

Text: Yuko Miyakoshi

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