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グンター・デミング「障害物」

PLACEText: Yoshito Maeoka

もし冬にベルリンを訪れる事があるなら、足元を見ながら歩くべきだろう。とりわけ雪の降った次の日は、塩を撒いて溶けた雪を凍らせるため、路面が非常に滑りやすい。場所によっては犬の糞が点在している為、滑ってこけた時、痛み以上の悲惨な目に遭う確率が非常に高い。起こりうる様々な危険を回避するため、足下に注意しながら歩くのだ。そうすれば、普段とは別の風景が見えてくる事もある。

例えば、ポツダマープラッツ近辺を散策すれば自ずと目に入る、ベルリンの壁の跡は典型的な例だろう。まわりの建材とは趣を異にする二列の石に沿って、かつての鉄のカーテンがそこに存在した。それらにそってしばらく散歩をすれば、ある一定の法則に自ずと気づくだろう。かつての壁の境界線沿いには比較的新しい建物が多い事、あるいはまだ空き地だったということに。

同じように足下を見ながらあるいていると、幾つかの住居の前で黄金色の真鍮のプレートを目にする。水道管あるいはガス管の印?はたまた境界線か等高線?いや、そうではない。

これらは、グンター・デミングの一連の作品、「Stolpersteine(障害物)」である。デミングは、この作品の第一歩をケルンから始める。それまでシンティ・ロマの人々に対する追悼の記憶のプロジェクトをいくつか行っていた際、かつてそこに住んでいた老女にこう証言された事がきっかけだった。『ここには決してシンティやロマが住んでいた事は無かったわ』。彼女の証言は、ドイツの戦後を象徴している。とりわけその当時の人々は、かつての過ちに対していっさい口を閉ざすようになったのだ。

この事実をケルンのアントニター教会のクルト・ピックと対話することにより、デミングはアイディアの実現の第一歩を踏み出した。『(ナチの犠牲者全てに相当する)6百万の石全てを設置する事は不可能だろう。しかし印を一つ施設する事により始めることができるじゃないか』。彼は1993年、プロジェクトのプランを『巨大な妄想—ヨーロッパの為のアートプロジェクト』と題し、60ページにわたる書籍として出版した。その翌年アントニター教会で『“障害物”—ここに居す』と題した展覧会を行う。その展覧会は写真と250の“障害物”から構想されていた。こうして当局の許可の下での初めて“障害物”の設置が開始された。

ベルリンでこの“障害物”が初めて設置されたのは1997年だった。クロイツベルク地区のオルタナティヴギャラリーNGBKでの展覧会『芸術家、アウシュビッツについての探求』に際し、同ギャラリーの協力の下、オラニエンシュトラーセ(クロイツベルク地区の目抜き通り)に55個の“障害物”を設置した。これらは最初、当局の許可なしで施行されたが、数ヶ月後には地区当局の設置許可が下りた。

他州を含め様々な展開があった後、2000年にはこの動きがベルリン州の広範囲で設置される事が決まった。今でもこの取り組みは継続され実行されており、過去の記憶が彼の手により新たな別の形を与えられ続けている。

Text: Yoshito Maeoka
Photos: Yoshito Maeoka

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