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ポンハオ劇場

PLACEText: Hiromi Nomoto

ポンハオ劇場のリャン・タンタンは言う。「あなたがここを好きな理由、それは他の人がここを好きな理由でもあるのです。」

ポンハオ劇場

「ポンハオ(蓬蒿)」とは、李白の詩の一部「天を仰ぎ大笑して門を出でて去る蓬蒿の人ならんや」から引用した。蓬蒿とは普通の人という意味だ。ごく普通の人がこの劇場に訪れ演劇を楽しんでくれるようにと名付けられた。2008年、北京に初めての民間経営劇場「ポンハオ」が登場した。賑やかな南鑼鼓巷を横切る東棉花胡同、その胡同に面する中央戯劇学院の隣の小さな路地の奥。そこにポンハオはひっそりと存在している。四合院を改造してつくられた劇場。演劇スペースの他にカフェ、屋上にはテラスを備えている。

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リャン・タンタン,ワン・シャン

ポンハオのリャン・タンタンに話をうかがった。ポンハオ劇場は北京で初めての民間経営の劇場です。このような独特な雰囲気のある空間を何故つくったのですか?またそれはどのような考えをもとにしているのですか?

ワン・シャンがポンハオ劇場を創立しました。私は彼の補佐をしています。劇場の場所探しから公演許可取得まで、ポンハオが誕生するまでを共に経験しました。創立者のワン・シャンは「恐れ故に私はこの劇場を造った」と繰り返し言います。この言葉には多くの意味があります。それを説明しなくても、これに心が共鳴した人ならば感じ取れるでしょう。多くの一般の人々が劇場を訪れ演劇を鑑賞し、観客同士が出会い良い影響を与え合い、お互いに心を高め続け、素晴らしい人になってもらいたいというのが私たちの願いなのです。

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劇場を造るのは決して簡単なことではありません。またこのような劇場は少なく、前例も少ないです。どのようにポンハオを造ったのですか?その過程でどのような困難や問題がありましたか?

北京で初めての民間経営小劇場ですから、遭遇した困難は未だかつてないものでした。劇場運営に関して参考にできるような経験が基本的にありませんでした。具体的には、劇場に合った場所を探すのにまる一年かかりました。毎日のように街を巡り、一軒一軒物件の戸を叩きました。その後はどのように経営するかという問題に直面しました。演目の選択等、一つ一つのことが困難でした。今振り返ってみるとこの期間のことは、苦労と言う程のことではありません。多くのことをはっきりとは覚えていませんが、あの当時は何も頼れるものが無く、劇場を始めてみてその都度発生した問題に対応するという状態でした。

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ポンハオを初めてから一年以上経ち、既に有名な劇場になりました。この期間にポンハオにはどのような変化がありましたか?

一つの大きな変化————『それはかつてのあなたの夢。あなたは夢みるだけに留まらず行動を起こした。その後、他の誰かがやってきて、自分もかつてこれを夢みていたと思いがけず気付く。しかしその人はそれを思い描いていただけだった。』
夢を行動に移す人は少ない。なぜなら夢を実現させるには、辛さやプレッシャーを背負うことが常にあり、後ろを振り返ることはできない。これが原因で多くの人は行動を起こすよりも前に諦めてしまう。私たちは自分の夢が前へ進むように後押し、この街にはオアシスがあるということを多くの人に示します。彼らはかつての曖昧ではあるが強烈な彼ら自身の夢を明らかにする必要があります。

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