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YOSHI47

PEOPLEText: Satsuki Miyanishi

展覧会の作品を通して見に来る方にどういったことを感じて欲しいですか?

感じて欲しいというものは無いです。その人が自分の中で自分のストーリーを描いてもらい、自分なりの面白い解釈をしてもらえればそれでいいです。何か感じてもらえればというだけで、特に「これを感じて欲しい!」というのは全くないです。押し付けがましいコンセプトは嫌いなので。

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アメリカに渡りアート活動をされていたそうですが、アートを始めたきっかけを教えて下さい。

きっかけは、小さい頃からずっと絵が好きだったこと。それの延長線上です。気づいたらアートというものにどっぷりハマっていたという感じです。アートをやろう!なんて思った事はないです。自然とやっていた感じです。でも本気でアーティストとして人生を決めた瞬間は、自分が作った作品が初めて売れた時です。サンノゼの美術館だったのですが、ある夫婦が本当に欲しいから買いたいと真剣なまなざしをされた時、めちゃくちゃ人間味を感じて感動しました。その人達とは今でも繋がっています。

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作品からはヒップホップやグラフィティのイメージをあまり受けなかったのですが、アメリカに渡る前にスプレーのアートをはじめ、その後現在の作品スタイルに至るまでの経緯を教えていただけますか?

受ける受けないは人それぞれだと思います。グラフ(グラフィティ)と聞いただけで、東京だとハードコアなのがグラフと思われている部分もあって、でもそれは東京のグラフであって、俺のように、色々な所に住んで経験してきたグラフ感覚とは違うのだと思います。世界に行けば、十人十色なグラフがあるわけで。そういったそれぞれのローカルなグラフを知っていれば、気付く人は沢山います。といっても、もう俺はグラフをやっていないし、ヒップホップという文化の下にだけいるわけでもないし、逆にそういった固定概念的な狭い所にいる事が嫌で自分の道を開拓してきたので、グラフの臭いがしなくて当然だと思います。

アメリカに渡る前にスプレーの「アート」はしてないです。ただボムったり、タグしたり、グラフィティという文化に憧れをもっていました。本当にそのままの「落書き」で、アートではない。楽しいし、やりたいからやっている。ただそれだけでした。ただ、どんな職業でもどんな事でもそうですが、何度も続けていると色々な物が見えてきて、例えば俺の場合だと、グラフをやっていたけれど、短い時間で、自分の描きたいものが描けなくなってきた時、中途半端に残してきた時の気持ちがすごい嫌で、なぜこんな短時間で壁に描いているか分からなくなって、結局俺が描きたいものはなんなのかと自問自答し始めるわけです。別にグラフにこだわらなくてもって思い始めたのがアメリカに渡ってからです。でも、スプレー大好きだから外に出かけてやったり、メッセンジャー配達しながらやったり、別に有名になろうとかじゃなくて、その時の気分で壁に描きたいものを描いてただけで…流行に乗っかるような事はしなかったですね。あとは、サンフランシスコや、サンノゼ、ロス、ニューヨークなどのライターと知り合う機会が沢山あって、色々な巨匠達と色々な事を話して、グラフにこだわらなくてもいいという事を感じつつ、ローアートの世界に入り始めて、色々なペインターや、かっこいいアーティストに会って、ハイアーティストな人達にもあったり、もうアートの世界を行き来する感じで、沢山の色々なアーティストに出会って今の自分のスタイルに至る感じです。

自分にとってグラフを通ってきたのはまぎれも無い大切な事で、自分の一部にはなっているけれど、それ以上に大切なのは、自分が何を表現をしたいかという事であって、グラフはそれを代表していないだけですね。あとアメリカで逮捕されてしまったという経緯もあるので、グラフからは離れていきました。今でも時々外でやってますが、頻繁にはしていません。缶に慣れておく程度です。あっ、モンスターを作って街に貼ったりはしてますが。

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アメリカのメッセンジャーのコミュニティーでいろいろな経験をされ、どのような影響を受けたのですか?

「生きる」という事ですね。ほとんどのメッセンジャーが学校行ってなかったり、字がかけなかったり、不法入国で不法滞在で不法労働してる人、軍隊上がりの人とか、ホームレスから上がってきた人…「貧困」「ドラッグ」「暴力」「セックス」の代名詞みたいな感じでした。中には金持ちから下ってきた人もいましたが、そんな人は仲間には一生入れない空気はありました。その中で必死に貧乏だけど毎日生きて、自分たちのやっていることに誇りを持つというのがものすごく人間臭くて。それでもって毎日が楽しくて、しかも仲間想いがすごくて。戦争に行った事はないですが、戦場で一緒に辛い事を毎日経験して、涙が一緒に流れるくらいの仲間と生き延びているんだなという事を感じてました。

生きるという事以外に、「大切な人を守る」という事や、「暴力で向かってくるものに対してそれ以上の力でねじ伏せる」という事とか。人間としての生命力は半端じゃないと思います。今でもこの経験のおかげで、あの時生きれたのだから、こんなの屁でもないって思えることですね。どんなものにも負けない糞根性がつきました。

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