NIKE 公式オンラインストア

池上高志

PEOPLEText: Yu Miyakoshi

これからもコラボレーションというかたちでアート・プロジェクトに関わっていかれますか?

それは何もわからないです。皆、そんなに計画を立てたりするものなのでしょうか?僕はあまり計画は立てないです。こういう方向でやりたいな、ということは幾つかあるけれども、それが変更されるのが面白い、みたいなところもあるんです。予定調和的なことは、できるだけつくらない方が面白いような。計画があると、それを達成したかどうか、ということに目線を合わせるようになるんだけど、それよりも「何か違うことが入って来ちゃってどうしよう」みたいなことの方が自分の生き方にはあっていますし。それに実際、思った通りにならないことの方が多くないですか?

たしかにそうですね。

特に、アート制作の話がどこから回って来て、どういう形で実際に動いていくか、という話などはそうです。「やりたいこと」というものは、時間に制約されるし、お金に制約されるし、その時に誰と一緒にできるか、ということに制約される。その中で、どうやったら一番面白いことができるか、どうやってつくっていくか、ということを考えながら進んでいく。その時に、そこにどれくらい豊かなサイドエフェクト(思いがけない拾い物)が生まれるか、ということを重視します。サイエンスの場合でもそうです。例えば、ロケットをつくろう、と言ってロケットをつくって打ち上げたら、そのこと自体よりも、それとは関係のないところで「何が見えたか」という、豊かなサイドエフェクトを持っている、そっちの方を重視します。でも、それ自体を計画するということは無理なのです。そういう意味で、「何をやりたいのか」とか、計画をたてるとかいったことは勿論あるだろうけれど、あまり意味をなしてないと思います。だけど、僕はそういうやり方でやってきて、何もやりたいことがない、という状態になったことはないです。そういう意味では恵まれた位置にいるのかもしれないですね。

常に目の前にあることに取り組んでいる、ということでずっと来ていらっしゃるのですね。学生の時からそうだったのですか?

学生の時はそうでもなかったかもしれないです。でも、ある時にこう、色んな方向に向かって開かれる時がくる。僕の場合だと、98年にパリに行っていた時だと思うのですが、その時にガブリエル・オロスコやカールステン・ニコライなどの色々なアーティストと知り合ったというのが大きかったですね。ガブリエル・オロスコというのは、あまり知られていなかったメキシコ出身のアーティストで、その当時初めてパリで個展をやろうということになっていたと思います。一緒に飲んだり遊んだりしましたが、今ではメジャーとなり、テート美術館やニューヨークのMoMAでやったり、世界中を回っているようです。カールステン・ニコライと出会いも同様に大きなものでありました。

その辺りから、アート方面の人と繋がりが出てきたのですね。

その時は自分でアートをやるとは思っていなかったですけれど、渋谷慶一郎さんと2004年に知りあって、彼が絶対面白いから、と言って声をかけてくれて、2005年にICCでやることになった。その時のパフォーマンス&トーク「第三項音楽」は面白くなりました。曲を5つつくって、渋谷さんが演奏する音楽の合間に僕が、何が第三項音楽で、どういう風につくったか、という解説を入れる。あれは今でもこう―― “unexpected!” な、予期せぬ感じがありました。普通は成立しないんじゃないかな、あんなことは。ある意味、めちゃくちゃだったと思いますが、楽しかった。でも、それがきっかけで僕は「世の中には、全然違うものもあるんだな」という風に思うようになりました。国際会議の学者の発表などは、想定質問も多いんです。アートの発表の場に色んな人たちが見に来て、そこでどんな風になるかわからない一発勝負のことをやるというのは、経験としてはかなり面白いですよね。一回性の緊張感というか。それはずっと研究だけやっていたらわからなかったことなので、やって良かったと思います。

研究者の傾向としては、年をとるとだんだんと閉じる方向に向かうする人が多いのですが、僕は経験を開いていった方が面白いと思います。「自分の人生の完成度を上げて、最後にサインして終わり」といったようなことをしたがる人が多いじゃないですか。だけど僕は中途で終わる方が好きなのです。完成しちゃったらつまらない、みたいなところあります。

様々な研究をされてきているので、色々な分野の間にいらっしゃって、そこから見えてくる池上さんならではの視点があるのではと思います。

進化のダイナミクスをどう捉えるかということから、生命の起源を考えようっていうことが始まった。そして人工知能や知性をつくろうという、それが僕のスタンスなのですが、僕は生命をつくったら知性がサイドエフェクトで付いてくるんじゃないかと考えるようになった。だから知性をつくるよりも、生命的なものをつくったら、自然に知性が生まれてくると考え、常にそれが頭のどこかにあるんです。生命のメタファーをいかにしてつくり出すか、ということを介してアートを考えたり、意識について考えたり、言語について考えたり。でも基本はやっぱり「生命とは何か」ということをどうやって書くか、あるいはどうやってつくるかということにあって、そこがベースです。

最後に、池上さんが影響を受けたアートや文学があれば教えていただけますか?

高校の時に読んだ宮澤賢治の「春と修羅」は今でも研究のモチベーションになっています。特に序の詩(宮澤賢治「春と修羅」序文)は、人工生命の科学に対する哲学を非常によく表していると思います。もちろん、賢治はそういうつもりで書いたわけではないと思いますけど。賢治は早く亡くなった妹に対する詩など、多くの叙情的な詩を残しているけれども、人工生命をやっている人がそれを読むと、喜びとか悲しみとか科学的事実とか、人間の頭の中で考えることというのは全部イリュージョンで、基本的には電気の回路が流れるパターンと同じことだ、という発想に読める。

科学には、“魔術を退いても残る魔術” を求めてるところがあるじゃないですか。最初から訳の解らない魔法は入れないことが科学のルールだけれど、魔法がないと言っているわけではない。神経細胞やDNAが全部わかったとしても、しかし「生命とはなにか」とか「意識とはなにか」という謎は残るわけじゃないですか。その「DNAと生命」、「神経細胞と意識」という繋がらない二つのものの間のギャップを考えるということが科学の真髄です。なぜそこにギャップがあるか、そのことを考えよう、というのが科学なのですから。そういう精神を、賢治のあの詩は表していると思います。

Text: Yu Miyakoshi

【ボランティア募集】翻訳・編集ライターを募集中です。詳細はメールでお問い合わせください。
MoMA STORE