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池上高志

PEOPLEText: Yu Miyakoshi

アーティストの方がサイエンスの要素を取り入れようとする時に、見た目的なところからアプローチしていくこともありますね。

雰囲気だけでは話にならないですよね。すごく誤解をされているのは、単純にサイエンスのプログラムをアートに使ったからとか、アートをサイエンスの言葉で解釈したからサイエンス・アートだ、なんてことは絶対にない。そういうのは三流、四流だと思うし、僕はそんなことをやるためにはやってない、と思っています。

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Seiko Mikami「Desire of Codes」Installation commission by YCAM, Related work「MTM [Mind Time Machine] 」 Concept & Direction: Takashi Ikegami (2010)

だから僕は雰囲気ではつくらないんですけれども、2010年に「欲望のコード」という展覧会で三上晴子さんと一緒にやった時に、少し見方が変わりました。三上さんのように本当に才能のある人がつくると、雰囲気から作ろうが、結果としてすごいものになる。そうした分野とか専門性とかいった問題は凌駕すると思いました。

写真家の新津保建秀さんともコラボレーションされていて、昨年は「Rugged TimeScape」(ラジエント・タイムスケープ)という作品を作られていますね。

あれは新津保さんと「写真には時間が入っていない」という話をしていて、画像をプログラムに通して変換させると、写真のなかに別な意味で時間軸が入り込む。ということで、その方法を使って風景の中に存在する、主観的な時間を折り畳んだり引き延ばしたりする、ということを可視化しました。

新津保さんの写真の持っている雰囲気が独特で面白いし、その意味では理論がなくても、作品として成立していると言える。僕一人でやっていたら作品として成立しなかったと思うんだけど、新津保さんとやったから成立した。そこが、面白いなと思いました。作品として面白いと思ったから、一緒にやったのは勿論なのですけどね。

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「Rugged TimeScape」Kenshu Shintsubo + Takashi Ikegami (2010)

あのプログラムには、アーノルドというロシアの数学者の理論的背景があります。そのプログラム自体は、学生の演習問題にも使われるような単純なものだから、力学系とか勉強している学生だったら誰でも知っているものだけど、世の中には拡散してないですよね。サイエンスを一般の人に広げるためにどういう活動をしたらいいか、という風には僕はあまり考えないのですが、いくつかの数学的なアイディアを使って面白いアート表現ができるのであれば、貢献してもいいかな、と思いますね。

インターネットのプロジェクトにも参加されていらっしゃいますが、インターネットから生まれるアートの可能性についてはどう考えてらっしゃいますか?

僕は「時間」にフォーカスするところから、見たことのないアートみたいなことが考えられるのではないかと思います。今年の2月に、青山ブックセンターで「サウンド・ブックシェルフ」というパブリック・アートをつくりました。これは自律的なセンサーをつかって、本屋さんの温度とか湿度をいろいろな場所で感知して、それを無線でお互い交信して、センサーの精度とかが進化していくというものなのです。このとき、バーチャル・リアリティの研究をしている廣瀬通孝先生とトークをさせていただいた。そのときに出てきた話が、現在のネット社会では、個人レベルの「今」が増えているという話です。どういうことかというと、インターネットでは過去をどんどんさかのぼってサーチすることができるようになっている。一方でツイッターとかで予測をすると、未来も到達可能になってくる。それがフィードバックされて「今」に集約されてくるから「今」ばかりがどんどん肥えている。昔は、社会的な出来事の「今」によって個人の「今」なんて抹消されてしまうんだ、っていう感じがあったと思うのですが、現代は個人レベルの「今」が肥大化してしまっている。それで面白いことができるかどうかは、また別の問題かもしれないですけど、そういう状況ではあると思います。

ただそこで問題なのは、肥大した「今」が豊かな「今」とは違う、というところで、僕は、それがただ肥えているだけじゃなくて、リッチな「今」に構成しなおすようなことが必要だと思います。ネットのない昔の方が、豊かだったような気がする時があるじゃないですか。ここにデータへのアクセシビリティと、豊かさは相反しているのかどうか、という問題がある。何にでもアクセスできることで「かけがえのなさ」が失われてしまうということは、残念なことですよね。ヴォネガットの「タイタンの妖女」などもそういうテーマだと思ったりします※。そういったこともふまえて、時間へのアクセシビリティが変化することで感情の持ちようが変わってくるといったような、時間の有り様に貢献できる技術があれば面白いと考えています。そういった本質的な部分を目指すのであればやりたいと思っていて、ちょっとした「いいアイディア」でやるアートだとかサイエンスだけじゃ、面白くないんじゃないかな、と思ってしまいます。どこかで本質的な部分を目指していないと小手先のアートやサイエンスになってしまうので。もっとも、小手先を積み上げているうちに、大きくて面白い問題に出会う場合もありますけどね。
※ヴォネガット「タイタンの妖女」の 作中に、時間を行き来することができるトラルファマドール人という宇宙人が、死などの悲しみを理解できないというエピソードがある。

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