ルオ・ヨンジン

PEOPLEText: Hiromi Nomoto

美しさ、カッコよさ、面白さ、これらは全てルオ・ヨンジンの作品の中で楽しめる。
ルオ・ヨンジンは中国のフォトグラファー。1960年北京で、教師をする両親のもとに生まれた。小さい頃のルオ・ヨンジンは絵描きになることを夢見ていたが、解放軍外語学院へ進む。大学卒業後アートへの思いは強くなり、1985年浙江美術学院に入る。解放軍外語学院にて働いた後、フリーカメラマンとなった。

ルオ・ヨンジン

1996年に行った展示「名人名事」(セレブレイション・アンド・セレブリティ)についてお聞かせ下さい。

人物を撮ったものです。中国語の「名人名事」とは、英語では「Celebrations and Celebrities」です。この二つの言葉を中国語に訳して一緒に繋げると面白いのでこうしました。

90年代の始めに。私はまだ美術大学の研究生で、中国コンテンポラリーアートに興味を持っていた友人と一緒に中国の多くの都市を巡り、面白いアーティストたちに会いました。今では彼らは有名になりましたが、当時は苦しい状態でした。お金も無く大きなアトリエもありません。ですから当時撮影したものは非常に貴重です。

なぜそのような旅をしたのですか?

中国のコンテンポラリーアートの状況を理解しようとしたからです。その頃はまだコンテンポラリーアートのアーティストに関する報道がありませんでした。情報を見かけることは少なく、彼らの作品ならば尚更です。旅をしてこれらの作品を見ることで当時の中国コンテンポラリーアートを理解しました。北へ南へ、上海や杭州へも、一度だけでなく何回も旅に出ました。

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「新民居・洛陽 27」1997

以前は洛陽(らくよう)市に住んでいたそうですね。あなたはこの家を被写体にして「新民居」シリーズを制作しました。何故建物を被写体にしたのですか?

それはこれらの建物が短期間のうちに沢山出現したからです。文革以前の70年代、土地は全て国のもので個人が家を建てる事は許されません。80年代に入ってからは家を建てても良いことになりました。

住民たちの収入も上がり、(洛陽の)どこに行ってもこの家が建てられました。その家は伝統や習慣とは大きく異なっていました。これらの家は奇妙で何のスタイルもありません。それが沢山。もともとは古い建物が建っていた場所です。都市の変化は非常に早く、当時はどこでもここのような状況でした。私にとって大きな刺激でした。

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「新民居・杭州 24」2003

その後、杭州のとてもユニークな住宅を被写体とした「新民居」シリーズも制作しましたね。

杭州旅行をする機会があり、その道すがらこれらの家を見ました。とても驚きました。1つの村に1軒2軒ではなく、一帯がこんな状態です。

(一般住民の建てた)洛陽の家とは全く違い、杭州は比較的裕福な人たちが建てました。彼らは費用を惜しみません。自分の理想の中でつくりあげた西洋によく似せて建てますが、実際にはこのような建物はヨーロッパ旅行に行っても見ることが出来ません。全て想像です。だからこそ面白いのです。

杭州の新民居は今も撮影しています。これらの家は以前のものに比べ、更に変化が大きくなって来ているのです。

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「ガソリンスタンド・山東」2005

巨大なガソリンスタンドを撮影した『ガソリンスタンド』シリーズについてお聞かせ下さい。

これらの建物は地方に旅行に行っていたときに見かけました。当時の中国は、ガソリンや石油に対する規制が今ほど厳しくなかったので、小さな会社も販売することができました。現在は中石油と中化石の2つの大きな会社が全てを管理しており、高速道路沿いのガソリンスタンドはロゴ・色・外装に至るまで全く同じです。

以前はそれぞれの会社が独自のセンスで店舗を建てていました。しかも数キロメートル先からでも見えるようにとても大きく。多くの場合一カ所に数件のガソリンスタンドが存在します。『向こうは奇抜だから、うちはもっと奇抜にしよう』『あっちには球が1つある。だったらうちは2個3個付けよう』と、彼らは競い合いました。

この競争により、奇怪な建物が沢山つくられました。しかし、今では減ってきており、現在見る事ができるのは、十数年前に建てられ今も残っているものだけです。

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「新庁舎・臨穎」2005-2006

「新庁舎」シリーズも制作しましたね。この作品の背景を教えて下さい。

この「新庁舎」について興味を持ちました。私は多くの都市に訪れました。そして、それぞれの都市の中心的となり広い土地を使った建物の存在に気付いたのです。それはランドマーク的建築です。

中国のランドマーク建築は、往々にして政府が建てます。また、新庁舎を建造することは金儲けをする方法です。現在の都市から離れた別の場所に、新庁舎を建設します。移転先の土地はとても安い値段です。もともと庁舎があった場所は不動産業者などに売り、得たお金を資金として新しい庁舎を建設します。不動産業者は新庁舎の近くに土地を買います。するとその地区の地価は高騰します。不動産業者がその土地を買った頃はとても安かったのに、後に建てた物件は価格が跳ね上がります。このように政府と不動産業者が共に儲けるという構造になっています。

これらの建築は非常に特殊で、政府の考えを完璧に体現しています。数十年後これらを見たとき、今がどんな時代であったかをはっきり判断できるでしょう。

あなたの作品には石油や権利など深刻な問題が内在しています。しかし、それと同時に面白さや美しさが感じられます。これはなぜだと思いますか?

写真家またはアーティストの作品は画面から語りかけます。つまり視覚的な作品には必ず見応えが必要です。

私は写真を使い表現しています。そうするとこれらの建築を選ぶことが1つ重要な要素となるのです。多くの建築があります。どのようなものも適するというわけではありません。ある建築は意義を語り始めます。歴史的意義であったり、記憶であったり。とても面白い。しかし、出来上がってみると面白くなくなってしまうのだったら私は撮影しません。このように、まず視覚から入るからです。

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「悠遊・八方六路 山西P08」2006

中国各地をパノラマで撮影した作品「悠遊(ゆうゆう)・八方六路」についてです。路上に水が流れている平凡な情景が、あなたの作品の中ではまるで描いたばかりで墨がまだしっとりと光っている水墨画のようです。どのようにこれらの場面を見つけるのですか?

これは恐らく長期間撮影することと習慣によります。アーティストは自身の表現力や観察力で他の人を越えます。私は他の人があまり注目しないことに注目します。誰かが注目しているものや人々が見たいものを撮影したならば、それはただの絵葉書や一般的な風景雑誌です。

一般の人からすると平凡なものでも、アーティストは他の人が思いもよらない撮影効果を考えます。流水を見て何かを考えるというように、どのカメラを使いどのような方法で撮ったら仕上がりはどうかを私は判断できます。これは長期間訓練し撮影することによります。

私が撮影したいのは、他の人が注意を向けないもので意義があり面白いもの、そして私たちの日常の中に存在するものです。先程の話に戻ると、あれらの建築は私が選んだ被写体です。沢山話しましたが、実際は私にとってこれらの存在は問題なのです。

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「夜警・外灘中心」2007

「夜警(やけい)」や「都市風景」など、何枚もの写真を組み合わせ制作した作品がありますね。

上海の建物は高さがあります。これも都市の特徴だと思います。ビルを選び、夜に撮影しました。過去には夜景を撮影するのは大変でした。しかしデジタルカメラが出てからは比較的簡単になりました。ですからデジタルカメラで夜の撮影をしました。これを撮影するとき、一枚に撮影するのとは違い、何枚もあるので、一枚一枚が違っていてもいいのです。作品の中には沢山の技術が存在しています。それぞれに違った技術を使っています。そしてそれらを一緒にします。一見すると大画面は1つの印象を与えます。しかし細かく見てみると一枚一枚が違います。被写体は同じですが、さまざまな語り方があります。

「都市風景」は都市の“過去”を撮影したものです。北京の大きな建物を撮影しましたが、撮影するには距離が足りないと気付きました。道路の向こう側に行っても、一枚の写真に納めようとすると距離が足りません。とても大きい。だから沢山写真を繋げればいいと考えました。北京の作品は比較的大きいので400枚を繋げました。

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「都市風景 東方広場」1998-2001

複数枚でつくる作品は時間をかけて制作するそうですね。

そうそう。今年も撮影します。北京でこのような写真を撮影して既に十数年になります。私は数枚撮影し(その数枚の写真を作品の中に)留めます。次回と前回の展示では、同じ作品でも変化があります。撮影は昼もあれば、夜もあります。夏も冬も、気候までも違います。ある部分では雪が降っていて、ある部分は夏では人々がスカートや棉の服など薄着です。

その作品はいつ完成するのですか?

今はまだ考えていません。どちらにしろ(あの場所に)変化があったなら私はそれを撮ります。建物が生きているなら、作品は生きているはずです。建築と作品は共に変化します。

この場所は古い四合院(中国華北地方以北及び北西地方特有の伝統的な建築)がありました。その後四合院は取り壊され、マクドナルドが建てられました。現在の東方広場の建設では、そのマクドナルドが取り壊されました。これらの過程も含めて、期間が長くなればなるほどこの写真は更に面白くなります。

何故このような方法を思いついたのですか?

それはあるものを長期間撮り一定のところまで来ると、偶然でも偶然でなくても「あの方法で試してみよう」と思うのです。そして試してみて面白いと感じ、また一定の長い期間撮影をすると、また新しい考えが浮かんでくるのです。突然こうなるわけではありません。

例えば、私はずっと正方形の作品を撮っていました。その作品を撮っていたとき、ある長い景色に出くわしたのです。どうしようと思いましたが、最終的に長い写真を撮れるカメラを選び撮影しました。

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「タワー ロータス」2006

この頃は彫刻や絵画も制作していますね。特に彫刻は今までと全く異なる作品ですね。

撮影をしていく過程でこれらの青銅の作品に触れました。また中国の多くの建築や住宅は改修が必要です(新築のマンションなどは内装を購入者自身が行うことが多い)。入居する前に自分の考えをもとに改造や装飾を施します。古い建物をリフォームする際は必要な機能を取り付けます。私はこれを逆にして、現在の建物を古いものに改造します。これらの建物本体を伝統的な数千年前の青銅で改修しました。これも一種の試みです。

私は好奇心の強い人間で、何かを見るとそれをどう利用しようか考えます。恐らく新しい材料や技術が出たら何かをするでしょうが、もちろん永遠に写真が主です。このことは確かです。

Text: Hiromi Nomoto

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