カールステン・ニコライ

PEOPLEText: Mitsuhiro Takemura, Katsuya Ishida

自ら設立した音楽レーベル「raster-noton」(レイザー・ノートン)について教えて下さい。

レーベルを立ち上げたのは96年です。自らレーベルを立ち上げたのは、当時、私達の音楽をリリースしてくれる所がなかったからです。設立当初から、このレーベルの共同設立者であるオラフとフランクと私の3人はただ音楽を発表するということはしたくありませんでした。3人とも美術家としてバックグラウンド持っていたため、作品を発表するにあたって、グラフィックやパッケージ、パフォーマンスの全てを総合的にデザインすることにしました。リリースの仕方においても、ただ見た目がかっこいいものをカバーとして載せるのではなく、私達の表現したいことそのものをとてもシンプルに見せるということを心がけてきました。

今では珍しくなくなりましたが、何も書かれていないケースの中にただCDが入っているような作品は、当時は全くありませんでした。メディアにおいてもCDだけを扱うのではなく、SDカードやLP、書籍など様々なメディアをリリースをしてきました。

販売方法についても、期間限定のショップを開き、世界各地でレイザー・ノートンの作品を販売することも行なっています。ショップの有用性は、実際に人が集まってくることにあります。そこで新たな情報を得たり、人々が出会うことが非常に大切な事だと考えているのです。

ご自身の音楽活動を踏まえての質問なのですが、音と音楽の違いをどう考えているのでしょう?

音は周波数というものとして全てのものに存在するものです。音楽はその周波数である音の一部であると考えています。例えば、超音波は音として存在するものですが、それを音認識している人は少ない。しかし、それは紛れも無く音なのです。

今日、様々な音楽が存在しますが、その分世の中に存在している音というものが見えにくくなっているように感じます。そのような現状についてどう考えていますか?

音楽が商業化されすぎてしまった現状があると思います。音というものに対する興味が深ければもっと革新的な音というものに関心が向くと思います。

この世界に存在する「音」というものは人類共有の財産だと言えます。それを表現の手段として使用することに圧倒的な可能性があるのではないでしょうか?

音というものは無限に存在するものであり、無限の可能性を持っているものだと考えています。私達が存在していると感じている音はとても少ない。そしてそれはソーシャルツールとして人と人とが関わっていくものとして機能するものであり、非常に民主的なものだと思っています。
私がパフォーマンスをするのも、音が境界のない言語だと確信しているからです。

音の視覚化というのは、様々に行われてきたことですが、あなたにとってそれはどのような意味を持つのでしょうか?

音には視覚的な要素がないということが音の美学なのではないでしょうか。私は周波数が低すぎたり、高すぎたりして人間が知覚しにくい音を可視化することに非常に興味を持っています。また、そのようなものを表現するために、パフォーマンスは音のインパクトを伝えるには非常に有効な手段です。そのなかでビジュアルを使用することはとても重要なことなのです。

これまでの活動を伺ってきましたが、坂本龍一氏とのコラボレーションは今までのものとは違った面があったのではないでしょうか?

坂本氏とのコラボレーションは、とてもエキサイティングなものでした。私の作品は非常にテクノロジカルで、実験的な音ですが、彼のサウンドはピアノなどを使用した非常にロマンティックで、叙情的なものです。
二人はとても対照的ではありますが、その対比がとても面白く感じています。
これまで10年近く彼との共作を続けていますが、義務的な形ではなく、お互いの良い面を補完する創造的な行為であると考えています。

ベルリンの現在の状況についてお伺いします。アートと都市との関係性についてどうお考えでしょうか?

ベルリンがアーティストにとって魅力的な理由ですが、首都であるにもかかわらず、不動産にかかる費用が安いことがあげられると思います。その一方で、クラブシーンなどのカルチャーは非常に活況です。しかし、そのような状況は即時的なものではなく、様々なアーティストの活動の積み重ねによって作られたものです。

正直に言いますと、ベルリンは商業的に全て成功しているかというとそうではありません。が、そこに住む人々がベルリンという都市には“成功する力”があると信じているのです。

私はベルリンが現在流行の先端だから住んでいるわけではありません。現在でもベルリンは旧東ドイツと西ドイツの2つの要素が共存しているからなのです。つまり、様々なライフスタイルの共存が可能な街。いうなれば現在のベルリンという都市はドイツらしくないドイツだと私は感じているからなのです。

Text: Mitsuhiro Takemura, Katsuya Ishida

【ボランティア募集】翻訳・編集ライターを募集中です。詳細はメールでお問い合わせください。
MoMA STORE