NIKE 公式オンラインストア

「ベースド・イン・ベルリン」展

HAPPENINGText: Kiyohide Hayashi

次に「都市とアーティストの関わり」という点から目に付いたアーティストを取り上げてみよう。

フランス生まれのシプリアン・ガイヤールは、今回の参加アーティストの多くのように発展段階にあるアーティストではなく、既に世界的に活躍しているアーティストといえるだろう。日本では2010年の愛知トリエンナーレに参加しており、2011年にベルリンのKWで開催された個展では多くの注目を集めた。今回の彼の作品は、ベースド・イン・ベルリンの枠組みだけではなく、DAAD(ドイツ学術交流会)と呼ばれる文化振興プロジェクトの一環としても作品が制作されており、実際に作品が公開されたのは7月の中旬と展覧会期とはズレがあり、展示も会場から離れたアレキサンダープラッツ駅近くだった。今回彼の作品は都市の中心部の建物屋上に、アイコン的なシンボルであるアメリカの野球チームのマスコットをネオンサインにして掲げたものだ。野球チームという本来のコンテクストから切り離されたアメリカ先住民のイメージは、ベルリン中心部の広告群の中に聳え立ち、都市の姿を消費社会の側面から浮かび上がらせていた。

CGA_Alexanderplatz_16_pt_i%20copy.jpg
Cyprien Gaillard: Neon Indian, 2011 (Sketch) Courtesy of Berliner Kunstlerprogramm/DAAD and the artist © Cyprien Gaillard

ベトナム生まれのアキムはメイン会場の建物にスプレーなどでペイントを施し、建物をグラフィティで覆った。しかし展示期間中にアーティストは仲間と共に会場を訪れ、会場外壁に描いたもの全てを壁ごとこそぎ落としている。ただし彼のペイントは消失しようとも痕跡によって顕在化され、これらの行為が行われたことはプロセスとなって認識できるであろう。一見無意味に見える行為だが、都市とグラフィティの関係性を表し、都市の中でグラフィティは描かれ、そして消されるという一つのサイクルを想起させる。彼自身において作品はグラフィティそのものではなく、街の中で繰り返される行為を反映させることであり、そこでは都市がプロセスを通じて変化を遂げていることを鑑賞者に気付かせるものである。

2749_1.jpg
Danh Vo: We the People, 2011, based in Berlin 2011 Photo: Amin Akhtar

ベトナム生まれで亡命によってデンマーク国籍を持つダン・フォーの作品は、ベースド・イン・ベルリンのメイン会場のインフォメーション・センターの上に建てられている。巨大な彫刻作品であるが、心棒が露出し身となるものがなく、わずかに先端部の炎の一部と、その下にある指先だけを確認できる。この作品はアメリカにある自由の女神の模倣作品であり、今回は女神のトーチを持つ右手部分のみが展示された。オリジナルの像が自由の象徴のシンボルとなっているが、ここではアイロニカルに自由の意味を暗示していると言える。というのもダン・フォーは、自由を求めてベトナムを後にしており、自由が指し示すものと彼の個人史は重なりを見せる。ここでは巨大なランドマークといえるものが、本来の意味が剥がされた状態で披露され、像を見る者にオリジナルが持つ意味を再考させてくれている。

これらの3作品はアーティストを囲むベルリンがどのような都市であるかを顕在化させている。グラフィティ、消費社会、そしてランドマークという切り口で裂かれたベルリンの都市の姿は、大都市ならではのリアリティーを開示する。自由を求めて集まる人々、表現を求めて集まる人々、そして享楽を求めて集まる人々。このような何かを求めて集まる人々は、ベルリンの混沌を加速させ、この街に莫大なエネルギーを与えている。上記の作品では、これらの人々存在を露にし、同時にアイロニカルな切り口でベルリンの都市の姿を批判しているように私には思えてしまう。

続きを読む ...

【ボランティア募集】翻訳・編集ライターを募集中です。詳細はメールでお問い合わせください。
MoMA STORE