アンテ・ヴォジュノヴィック

PEOPLEText: mina

名古屋の展覧会「プレザンス・ドー」について、教えてください。

次は何をつくろうかと考えている時に、80年代の水の作品「フォンテーヌ」よりも、もっとミニマリストなものをつくろうと思いました。つまり、可能な限りミニマルにするという意味は、そこに誰かが介入するということを思いついたのです。メンテナンスが大変だった「フォンテーヌ」とは異なる、循環式ポンプを使わない作品を考え始めて生まれた作品が「プレザンス・ドー」です。最初に試作をつくった時に、スタッフが「光を入れてみたら」と言い、光を入れてみた。それで今度は僕が「マルチプル」と言って、複数で置いてみた。名古屋の時にはそれをベールのような、ある種テントのようなもので覆い、その中に複数置いたときのイメージが頭に思い浮かんで、それを実現しました。

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「Presence d’eau」 Photo: STUDIO WORKS OZAKI

(「プレザンス・ドー」にはポンプがない。ガラス瓶の中に吊られた樹脂製の風船のようなタンクに、自分で瓶内の水をくみ上げる。風船の上の方に穴が開いていて、そこから水が風船内部に入り、その風船の下に小さな穴が開いていて少しずつ水滴が落ちる。それにより瓶内の水面が揺れ、その揺れが光で天井に反映される仕組み。)

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「二つの椅子の狭間で」

光を扱う作品も多いですが、作品と光の関係性についてはどうお考えですか?

多分、子供の頃の影響があると思います。ある時は電気のないところで暮らしていて、電球のような人工の光がなく、ランプやロウソクでした。ある日、どこかでスイッチをパチンと入れたら光がついて、「なんだこれは、魔法か!?」って思ったのです。自分の作品の中に光を入れるということは、昔のそういう刷り込みもあるし、フランスの言い方で「ケーキのイチゴ」というのがあって、ケーキの上にイチゴを一つ載せることで完成するとか、補完されてパーフェクトになるという意味なのですが、そういう感じで作品にも光を入れたらどうだろうと、多く光を扱うようになりました。

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「スポンジのテーブル」

「作業の終わりに」や「竹に咲く花」など、白の世界についてはどうお考えですか?

北アフリカのマグレブでは都会から離れると全ての家は真っ白なのです。彼らは毎年毎年、白を塗り直すのですが、それが好きです。マグレブや地中海の周りに住んでいた時代に、そんな風に白と一緒に過ごしてきました。だから、フランスのパリに来てからも、家の中を全て真っ白に塗っていました。以前の住人の生活感が残るのが嫌でまっさらにしたい、浄化したいという思いもありましたし、真っ白い空間に何か一つものを置くとそのもの自体の価値が際立ちます。だから自分の空間はより多く白くしておきたいし、より多く空っぽにしておきたい。恐らく白が必要になったのは、初めてマグレブに移った7歳の時からだと思います。白って、ピュアじゃないですか。

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