パーマネント・フード

THINGSText: Roberto Bagatti

今までに、テキストによるページで構成されたP.F.を考えたことはありますか?

私達は沢山の異なったアイディアを今までに持っていました。私達はヴォーグとのプロジェクトをとても面白いものだと思いましたし、過去に似たような経験を「デイズド&コンフューズド」ともしています。それらの雑誌からページを抜粋するのは読み手ではありませんが、彼らは読み手にそうするように問いかけます。このことが、私達を特別号シリーズの編集に取りかからせるのです。

今、私達はコレクターであるヤコブ・ボロティンと一緒に、イタリアやフランスの大衆的なイラスト雑誌から20年以上にわたって集めたゴシップ記事などによる次の特別号に取りかかっています。もし私達がテキストによるP.F.をつくることがあるとしたら、そのテキストはビジュアルテキストになると思いますね。

それは、エミリオ・ラ・イスグロ(イタリアのアーティスト)のような?

いいえ、私が言おうとしているのは、それが人々を喚起させるようなものでなければならないということです。P.F.の本質はインパクトを残すことで、そうでなければただの抜粋記事の羅列で終わってしまいます。分かると思いますが、P.F.はイメージによってできているある種のイラスト雑誌なので、もしテキストを選ぶとしたら、それは特別にレイアウトされたページのビジュアル・テキストか、あるいは視覚的に喚起させる内容のテキストでなければならないでしょう。

どのようにして、次号の方向性を決めるのですか?

それに関しては、いささかナイーヴだと思います。ある号をつくり終えた直後の私達はとても充たされていてアドレナリンも沢山出ているので、すぐにでも次号に取りかかりたくなります。だから程なく、視覚的効果を持ったイメージに対する私の感性と、学術的で皮肉的な且つ鋭い画に対するマウリツィオの趣向を合わせて、私達はほとんどランダムにイメージの収集に取りかかります。

そして十分なイメージができ上がったときに、いよいよ私達は次号の方向性を決めるか、あるいは方向性を理解しようとするのです。もし、そうこうするうちに9.11の悲劇ような出来事が起こったら、その時はやりかけの号を放棄して、すぐに最新の出来事に基づいた新たな号に取りかかります。

少なくともメディアの観点から、9.11の他にも、戦争やアメリカのイラク占領に関するあらゆるニュースのような日常の出来事になってしまっている悲劇に対して、P.F.はどのように関与していくのでしょうか?

9.11の悲劇は、強烈で悲惨なインパクトのある映像によって、必要以上にやかましい出来事になっています。戦争は、悲しいことに日常的な現実となっていますので、私達が戦争に対して持っている認識は、ツイン・タワーが地面に倒れるほどのインパクトではありません。

数年前、性的な表現が特に効果的な時があって、それはほとんどのファッション雑誌のページ内で、大きな役割を果たしていました。そしてその時、私達は沢山の性的なイメージによるP.F.を発行しようと決めました。時々、私は似たような刊行物が多すぎると思います。でもそれは、日常の空気の中で確かに認識していることが反映されているだけなのです。

私は、幸福や喜びや、晴れやかさや輝きを扱った号をつくりたいとずっと思っているのですが、マウリツィオと私のやり方は違いますし、私が考える限りでは彼がプロジェクトリーダーです。そして彼のセレクト方法と私のとはちがうので、同じトピックに対して最終的には2つの異なった観点を持ってしまうでしょう。

P.F.は、最低限の表現による、的を得た雑誌であり続けようとしています。私達は、今生きているこの世の中の断面を、ただそのまま見せようとしているのではありません。なぜなら、それらは既にメディアを通じてさらに明白になっているからです。

P.F.は、一体どこに向かっているのでしょうか?

編集というものの現実が向かうところか、あるいは単純に現実が向かうところですね。それ以上でもそれ以下でもありません。

Text: Roberto Bagatti
Translation: Naoko Fukushi
Photos: Courtesy of Permanent Food

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葛西由香
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