9・11 ワールドトレードセンター

HAPPENING


あの日の朝9時頃、私は電車から降りて42ストリートのポートオーソリティー駅を横切っていた。その時、チケットブースの前にあるテレビの周りに、異常な人だかりができているのを見た。驚いた事に私の目にした物は、火に包まれた、あの世界的に有名なワールド・トレード・センターのツインタワーの1棟だった。私の隣にいた男性が、飛行機がビルに突っ込んだのだと教えてくれた。何も知らない私は、プライベート・ジェットがコントロールを失って、偶然ビルにぶつかったのだと思った。

私のオフィスのドアを開けると、中で一緒に働いている人達がミーティングルームの1つに集まっているのが見えた。あまり気にせずに、自分のデスクに向かうと、Eメールを打っている同僚に「ツインタワーに飛行機が突っ込んだんだって」と教えた。誰もデスクに向かっていないので、私も皆の集まるミーティングルームへと向かった。別の飛行機が、ツインタワーのもう一方の棟に突っ込んだ事を、私はこの時まで知らなかった。そして、ツインタワーの両方へ突入した飛行機はプライベート・ジェットではなく、大きな旅客機だったという事もこの時初めて知った。

この信じられない出来事の中継を15分ほど見た後、私はデスクに戻って電話を2本かけた。ダウンタウン(ワールドトレードセンターの近くではないけれど)で働く弟に電話をすると、彼はタワーに突っ込み爆発する飛行機を見たと言う。日本は夜の11時頃だったが、日本にいる父に私達の無事を伝えた。私の話した事件のことをまだ知らなかった父は、テレビをつけたが、本当に信じられない様だった。

私は、再びミーティングルームに戻り、ニュースを見ていた。同僚と私は、中継されるツインタワー崩壊を見た。ほんの一瞬が、まるで永遠のように感じられ、私達は全く何も信じられない状態になってしまった。全く何も。誰かが「ただ崩壊したというだけなのか・・・。」と言った。ニュースから目を離さなかった。私達のほとんどが沈黙していた。30分が経った頃、このニューヨークの目印が永遠に無くなってしまったのだということを理解した。私は、自分のオフィスの2マイル南で起きた事が、ただただ信じられなかった。

正午ちょっと前、私は街で彼女と会い、歩いてダウンタウンへ向かった。道は、人でいっぱいだった。そしてそのほとんどが、逆の方向に向かっていて、私達はちょっと緊張した。それでもできる限り方向を変えずに歩いて行った。グラウンドゼロの建物の方から、濃いグレーの煙が出ているのが見えた。しかし、私たちに見えなかった物は、ツインタワーだ。ニューヨークの空のラインが変わってしまったことを悟った。永遠に。呆然と立ち尽くした。これは、現実の度を超えている。

弟のオフィスに立ち寄って、もう一人の友達と会った。そして彼のアパートのあるダウンタウンの方へと皆で向かった。彼のアパートは、ウィリアムズバーグ・ブリッジの近くにある。道すがら、ギリギリのところで世界最大級の建物の崩壊から逃げて来た人々が、灰を被っているのを見た。これは、現実の出来事なのだ。

弟が、負傷者のために献血をしようと提案した。私達は2人とも、緊急に必要とされていると道で消防士から聞いていた、O型だった。私達は、歩く方向を変えて病院のそばに歩いて行くと、1区画を超える人々の列が見えた。一人の若い職員、おそらくボランティアなのだろう、彼が私達のところにやって来て、問診票に書き込んで欲しいと言った。質問は「健康ですか?」といったような物から始まり、「薬は使っていますか?」、「この3年間で、アメリカ国外に出た事がありますか?」と続いた。ああ、なんという事だろう。答えはイエスだ。

「私が行ったのは、メキシコ、アフリカ・・・」と弟が言うと、その職員は「そうですか。それじゃあなたの血液を採るわけにはいきません。ありがとうございました。」と言った。

しばらくすると、友達が彼の恋人の消息を手に入れようとしていた。彼女は、ヒューストンストリートを下ったところで働いていて、事件以来彼女と会っていないと言う。彼は心配の色を隠せない。私は、「彼女の同僚に電話をしたけど、つながらなかった。」と彼に話してみたが、もちろん彼の気持ちを落ち着かせる事などできるわけがない。

ダウンタウンの方へ向かって歩き続けて行くと、灰で覆われた車数台とすれ違った。そのうち何台かのウィンドシールズは壊れていた。この頃までには、道はバリケードで囲われ、交通は逆流していた。ダウンタウンに向かうにつれ、そこにいる人々は減って行った。

弟のアパートに着いてすぐ、「彼女の声が聞こえてちょっと無気味だ」と友達が言った。目の前のテレビが私達の気を少し紛らわせた。

何百回と同じ場面を見た2時間後、私はガールフレンドと一緒にウィリアムズ・ブリッジを歩いて渡り、家に帰ることを決意した。天気は良かったが、それ以上に悲しみでいっぱいだった。この日は、ニューヨークの歴史の中で最も暗い日の1つに数えられる。橋から、以前より低くなったマンハッタンが太陽に照らされているのが見えた。日の光は、混乱の中厚い煙を通して、美しいニューヨークのスカイラインと事件の醜悪さを並べてみせた。

私達のうち、一人がこんなコメントを寄せている「まるで映画のようだ・・・。」私は自分で考えてみた「ああ、映画は現実を真似て、できるだけ現実感を出そうとしていたのに。時を経て、フェイクがだんだん現実になって来た。私達は気付かなかった。フェイクが現実を超えて、現実そのものよりも、もっともらしくなってしまったということに。ある意味で、映画が私達の現実を作りはじめているのだ。なんという皮肉。

夕方、私達は無事家につき、大家さんと安堵の挨拶を交わした。ウォールストリートで働いていた大家さんの息子が、脱出の時の話をしてくれた。近所に住んでいるもう一人のいとこは、ワールドトレードセンターの84階で働いていたが、飛行機が突入するほんの少し前、上司に5階に降りてくるように言われたそうだ。運命とは、ほんとうに不思議な物だ。彼の11歳になる娘さんは、教室の窓からあの飛行機の1つを見たと言う。彼女は、びっくりするぐらい落ち着いている。3歳の息子さんは、母親にニュースを見ようよと言っているそうだ。彼は、おそらくまだわからないのだろう。

あの日、すべてのものが動いていたけれど、凍っているように思われた。まるで、1分にも満たなかったあの攻撃と崩壊の瞬間が、丸一日かかった出来事のように感じられるのだ。

これが、2001年9月11日のニューヨークの出来事。

Text and Photos: Rei Inamoto From Interfere
Translation: Naoko Ikeno

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