アルベルト・ザノーネ

PEOPLEText: Loredana Mascheron

オポスは、1991年にデザインの他の分野を探究したいという強い願いから設立された。アルベルト・ザノーネの建築とデザインに対する愛情と、ミラノ郊外のインダストリアル・スペースで、ユニバーシティ・オブ・フロレンスで都市計画を教えている友達と話をするチャンスに恵まれた事から、始まった。

『私はいつも、郊外に興味を持っていました。私はいつも産業考古学が好きでした。』とアルベルトはいう。『この、大きなスペースを見つけ、このスペースで何かできないか、というアイディアを思い付いたのです。建築の分野で始めるのは、簡単な事ではありませんでした。コンタクトをとるべき知り合いがいなかったのです。私達は、デザインから始める事にしました。ファッションのデザインと何かを比較したいという、欲求があったのです。デザインのレベルでのアプローチの点から見ると、私の行ってきたデザインと、シーズンを持たない商品のデザインとの比較ということになります。逆説的に、プロダクトデザイナーは、ファッションと同様に、いまやトレンドを作り出すようになりました。アレシの商品ラインがその例ですね。』


Interruttorevolante loose switch, designed by Donata Paruccini for Opos, 2001

『プロダクトデザインの世界を知る事で、私の視野は広まりました。テーブルや椅子、その他の物を作るように、私の商品のディテールをつけています。私が衣類に取り組む事の多いためにファッションの世界では辿る事の難しいアプローチを、素材のリサーチや確かな特徴など、長く続く物の中に見い出します。』

オポスの実験には、確実な報酬があります。また80年代の終わり、この都市が若い才能にあまり注目しなかったこともあり、オポスの展覧会・スペースは、そうしたギャップを埋めたといえる。若いデザイナーのデモンストレーションに対して『新しいデザインの方向にハイライトを当てた提案を持つ、初めてのアンダー35コンペティションが素材の使い方や、環境への配慮、リサイクル、再利用、皮肉、どんな小さな物でも感情からくる考えなどを扱ってきたために、大きな期待もありました。こうしたシグナルをピックアップする事は、業界でも少ししかなく、10年以上経った現在でも、オポスのリサーチと提案を調査するプロデューサーはあまりいません。』『家具業界は、有名な人を信じ、リスクの少ない選択をする傾向があり、あまり配慮を持っていません。ビッグネームにバックアップされているデザインチームを持つ組織が形成されているのです。』


Divatrona armchair by Paola Bonfante and Filippo Fantini for Opos, 1992

10年が経って、光景も変わった。若い才能は、いまや自分達の作品を見せる事のできる機会、アウトレットを持っている。初めてにしてもっとも重要なミラノサローネとそのスペースは、アレンガリオによって提供された。そしておそらく、プロダクションの世界では、こうしたデザインの若いスタイルは飽和状態にまで達しているのだろう。

デザインの世界で、デザインとプロダクションという観点においてアルベルト・ザノーネは何を見ているのだろう?『若いデザイナーのための販路は、以前ほど見なくなりました。技術は流行です。したがって、素材に取り組むのはもっと難しいのです。アイディアが充分ではないのです。新しい素材と技術は、若いデザイナーには利用できません。少なくともイタリアでは。その事をオランダのような国で考えてみると、ドローグ・デザインは航空宇宙産業の素材を使うためのリサーチにアクセスできるようにしています。』『イタリアは実際、業界のジョイントの力においては停止状態にありますが、民間のイニシアティブや制度は、オランダやイギリス、スイス、ポルトガルといったヨーロッパの国それぞれのポジションを強めているのです。』あなたがこれまで「記録」してきたデザインのレベルの低下は、オポス・コンペティションの登録者にも表れていますか?『残念ながら、答えはイエスです。初めの頃にくらべると、心を捉える物も驚きのある物も少ないです。以前よりも、若い人達は刺激的ではありません。難しい仕事ではあります。何人で作ったの?と聞くので充分です。』

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