トゥーンズ・キャンプ

HAPPENINGText: Chibashi

路上に描いたりしたことはありますか?

いやそれはなかったです。高1ぐらいから興味があったんですが、地元の名古屋にはそういう環境がなかったんです。知らなかっただけかもしれませんが。その頃東京に住んでいたらやってたかもしれません。(笑)

ただ、本来のグラフィティって人が社会に対する自分の主張をメッセージとして他人種、社会に残していくというものじゃないですか。そういう意味で日本人がグラフィティを描く意味を考えるとき、人種や社会問題というより個人的感覚の主張になってきて…。日本の場合は人種単位ではなく個人が単体で差別を受けているような孤独とか。逆に集団としての社会内の派閥とか。個性という名の自己主張とか。無意味な比較論とか。あいまいなボーダーラインも。良いものは良いという確固たる裏付けではないもっと複雑で難解な表現なんだと思います。

言葉にならない言葉。表現しきれねー。単に「落書き」と社会から言われてしまうだけなのはとても寂しい。日本のグラフィティはそれだけでは片付けられないと思う。日本社会は分かり易くないと分かってもらえないからか。でもそのイージーさが逆に日本のいいところかもしれないですね。もともとメッセージが無い。その分「個性」というものをスタイルとしてみんなが持とうとしている。個性の上乗せ。存在していることの意味の意味性をイージーに求めちゃう。余計に複雑になるのに。それは同黄色人種に対してのみ通用するメッセージなんですよね。黄色ではない黄色にみんななりたがっている。そういう自己満足的でしかないのが日本人かもしれません。そして日本社会がなんとも言えない日本人種内差別のような感覚で動いている今だからすごく主張したくなる。なにせ同人種です。只の仲間割れです。理解できるだけにやりやすい(笑)。だから改めて自分が日本人なんだと日本は島国なんだと分かる。ああ、俺はイージーにも日本人の起源に少し触れたのでは、そう考えると刺激的です(笑)。で、海外から見たらそれは何年経ってもエキゾチック・ジャパン(笑)。

ところで、今井さんのイラストやマンガといった作品はいろいろなメディアでよく目にしますが、こうした展覧会は結構やられているんですか?

実は、名古屋の「NAFギャラリー」というところでも企画展をやっていました(5月30日まで)。札幌でも「CAI」というギャラリーで2000年1月にやらせてもらいました。

いつもインスタレーション的にやっている?

展覧会ごとに作品を持っていったり現地で作ったり空間にスケッチしているという感じです。

イラストや映像としての「今井トゥーンズ」のイメージは多分の多くの人が持っているのではないかと思うんですが、こうしたアート的なアプローチっていうのはあまり知られていないのではないでしょうか? 98年ごろに雑誌で今井さんが特集されていた記事を読みましたが、その当時、これから充電をして「作家」としての活動をしていきたいと言っていましたよね。その後どうなったを実は聞きたかったのです。

劇的な変化をさせるつもりはなかったです。気持ち的な部分ですね。アウトプットばかりで辛かったのでインプットの時間が欲しかった(笑)。その後も普通にイラストの仕事もしているし、マンガの仕事も個人的なワークもしている。ただスタンスとしてはあまり変わってない。表現の方法が一つプラスされただけであって根底にあるものは何も変わっていない。「作家」という表現は適切かどうかはわかりませんが。少しわがままをいわせてもらっています(笑)。

仕事はプロとしてしっかりやっていますが、逆に自分にとって「作家」というスタンスは「未完成」なものを自由に表現させてくださいという部分なのかもしれないです。多分それを皆さんに見てもらったり、いろんなところに置いてもらったりしてまた考えさせていただく。またみんなで作るのかもしれない。実際に自由にやらせてもらっている。それが申し訳なくもあり、本当にありがたいです。

今、コミックアーティストとか、イラストレーターとかいろいろな肩書きがありますが、自分としてはどれがしっくりきているんですか?

本業はイラストレーターです。でも海外でイラストレーターというのは、どうも風刺画を描く人みたいな位置付けらしく、コミックアーティストの方がいいと言われます。日本では、イラストレーターと名乗ったほうが仕事を受けやすいんで、そう名乗っています。でも、本当は「今井トゥーンズ」というジャンルを自分はやっているんだと思っています。

「今井トゥーンズ」はジャンルなんですか?!

「何で複数形(トゥーンズ)なの?」と聞かれることもあります(笑)が、本当の意味は僕のペンネームではなくて、ジャンルであり屋号、商標というコンセプトでつけたものです。

「今井トゥーンズ」的なコンセプトとは、日本人のアニメやマンガの文化がアメリカのコミックに影響を与える。今井という日本人がそれを真似て日本に逆輸入したらどうなるか?そういうスタイルとしてはじまったもので、それが記号として認められた時点で、コンセプトとしては成功したと言えます。そしてそれがまたいろいろな人々に渡り形を変え何度もソフィスケイトされたとき新しい良い形の共通記号が生まれたらおもしろいですよね。

そして、僕自身が「今井トゥーンズ」というジャンルを「日本と外国が交わる部分」の表現、絵画でも記号でもないような「共有する形を摘出する者」として実践していると考えています。でもめんどくさいのでペンネームで(笑)。結局いい絵を描いていくという志は変わりませんから。

今井トゥーンズ誕生以後、若いイラストレーターの中にも同じような感覚を持った人が出てきているように思えます。フォロアーと言っていいかどうかはわかりませんが、そういうイラストレーター達に伝えたいことはありますか?

もともと摘出された形を真似て発展させるというスタンスでできたものが、フォローされるというのはむしろコンセプト的に構わないと思っています。でもコンセプトゆえに表層を真似ることがあるならば、むしろ僕が影響を受けた作家や思想を調べた方がいいかもしれませんね。そして絵がうまくなかったらコンセプト然としたものになり、論じなければ機能しなくなる。だから絵の鍛練も絶対かかせません。

ところで、大学は多摩美の油彩科ということですが、今井さんのインタビューを雑誌で読んでいると、ホットボンドを使って木材で立体を作っていたとありました。どんなものを作っていたのか?それが今の作風とどう関係しているのかってあたりがすごく気になりました。

学生時代は、家具みたいなオブジェを作りそれに絵を描いた作品、ホットボンドをバーナーで溶かして貼ったり、それで人間みたいなものを作ったりしていました。その時から、キャラクターを作っていたんです。画風は今とそんなに変わっていませんね。

設定としては自虐的な意味での「自分の神様」。自分の神様をつくる行為というのがなんだかおもしろくあり人間の内面を表現できるのではと思った。ギャグマンガ的だったり、手が4本あったりとか、人間的な形を微妙に避けたものにすることで、逆に人間的表現ができるだろうと思ってやっていました。

油彩でも今のような絵を描いていたんだけど、油彩は線が見えてこない。今は線にこだわっています。当時からイラストはモチーフとして使っていました。目的を伝えていくために記号としてイラストがあったんです。

ところで、大きく話が変わるんですが、名古屋出身で、ずっと東京では世田谷で暮らしていたんですよね。街がものづくりに与えた影響を聞きたいです。

いや、実は名古屋から18歳の時に東京に来たんですが、今までに5回引っ越しをしているんですよ。最初が吉祥寺で、次が横浜の綱島、次が世田谷の東北沢、そして世田谷代田。今は中目黒に住んでいます。

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