NIKE 公式オンラインストア

NUMER.00

HAPPENINGText: Tomohiro Okada

その一方で、コンピュータによるインタラクティブ・デザインが持つ新しい意味合いとアートとしての可能性や、ハイブリッドなものに持ち上げて行くための教育という、インタラクティブ・デザインそのものを伸ばして行くための発想や方法についても語られていた。

例えば、スイスをベースに活動しているキャサリン ルッツ・ワルタルドは、コミュニケーション・テクノロジーの発展を教養という文脈でおさえながら、日常的な創作活動を実践できる場となりうるスクールをヨーロッパ各地に地域密着型で興しているという自身の作業を紹介、ここから学ぶものや地域に文化としての定着を行なってゆくとそこからインタラクティブなイメージそのものをリアリティーとして行く活動の成果を紹介していった。同じく、スウェーデンのマルモ大学で「デジタル・バウハウス」の確立に向けて奔走するペレ・エハンは、同じく教養としてのテクノロジーやデザインが基礎としてある上でインタラクティブ・デザインを手掛けて行けるような環境が無ければ、美学としてもしくは文化として伸びて行くことが難しいという自身の立脚点から、デジタル・デザインにおける新しい学びの場としての「デジタル・バウハウス」という構想を披露した。

デザイナーがインタラクティブ・デザインにおいてどういう姿勢であるべきか。その姿勢そのもののモデルとして教育は論点を分かり易くするものであったが、姿勢そのものについての示唆をする論者もいた。現在、メディア文化センターの設立に向け精力的な活動をヘルシンキで行なっているヘルシンキ芸術工芸大学助教授のミナ・タッカは、ユーザーとコンピュータを結びつけるという作業こそがインタラクティブ・デザインの根底であると指摘した上で、インターフェイスに何を語らしめることができるのかという、社会性と社交性が今までのデザインやアート以上に必要不可欠なものであると明言するのであった。

中にはこれら大きく散った議論を結びつけながら煽って場を盛り上げ、感心させてくれた発言者がいたことも忘れてはならない。ニューヨーク在住のウエブデザイン・スペシャリスト、ジョシュア・デイビスなどセルフプロデュースのウエブデザイン・プロジェクトを展開している。ただできるものを突き詰めていって公開する。そのことで反応や議論が生まれるのだから、意味を評論することのみでは無意味ではないかと語る。テクノロジーを深く知らなくてもインタラクティブ・デザインはできるし、良くなるのも悪くなるのもどれだけ作品に対するコメントに耳を傾けるのかということにあるという。

続きを読む ...

【ボランティア募集】翻訳・編集ライターを募集中です。詳細はメールでお問い合わせください。
MoMA STORE